宗教は道徳である(ガンディー)   

神さまは本当は目に見えないものです。
インドなどに聖者とか神の化身と言われる人が何故現れるんでしょう?
ご先祖さまのお墓があるとそこに行って心で話し安らぎを得たりしますよね。
そのように何か目に見える対象物があると人間は心が彷徨わずに集中したり安心できたりするからです。
聖者や化身した神さまは、道が歩きやすいように神さまと人間の間を取り持つ存在なのです。
目に見えないものが実在なのに人間はそれに気づいたり信じきることができません。
だから彷徨う心を平安に保ち精神を高めるために神さまはいろんな時代に化身して導きにやってくるのです。
また何故化身するのかというと、神さまがとてつもなく人間離れした姿で現れたら人が近づいて来ません。
だから同じ人間の体をもって現れるのです。
    
しかしただの人間だったら神さまであり導くためにいることを信じてもらえません。
そのために奇跡や物質化を行うのです。
それらには病気を治したり、正しく導くために与えたりという意味がちゃんと込められています。
いたずらに驚かせたり、自慢するためになどという不純な動機はどこにもあり得ません。
混沌としたこの時代に必要があるから神さまはきているのです。
お金や物だけで真の幸福は掴めないのだと感じている人々の近年の傾向は顕著です。
テレビでも「道徳」を強調しています。
ガンディー曰く、「宗教とは道徳である」全く同感です。
宗教もお金も人も物もすべて正しく扱える人であるかどうかということにかかってます。
また、正しく扱っている人かどうかを見抜く識別力も必要となるわけです。
また同じ識別力を自分に対しても発揮しなければなりません。
そういう人であるためには自己の改革・探求・内観が欠かせないのではないでしょうか。

ハリスチャンドラ王物語  
言葉は心に大きな影響を及ぼす  
人生の価値の話
意識はどのように物質となったか?
いろいろな教えや言葉の意味
聖者達の言葉
ドイツの指導者サイババを語る
ガンジーの日記より
ガンジーの服装 
小話の英知 

 ハリスチャンドラ王物語
19世紀の終わりに、一人のインドの少年がハリスチャンドラという名前の王の劇を見に行きました。
この劇は少年の心に深く刻み込まれました。彼は成長し、世界で最も偉大な人物のひとりになりました。
その人の名はマハトマ・ガンジーと言います。これはその王様の話です。

はるか遠い昔のことです。ある所にハリスチャンドラという名の立派な王様がいました。
彼よりも真実を大切にする人はいないということで、彼は国中に知れ渡っていました。
賢者たちや神々が話しあって、ハリスチャンドラが本当にそのような呼び名にふさわしい人か
どうかを自分たちで試そうということになりました。

ある日、ハリスチャンドラが森で狩りをしていると、突然助けを求める声が聞こえました。
彼は弓矢を投げ捨てて声のするほうに走って行きました。彼が一軒の小屋に入ると、
そこはりっぱな賢者の住む家でその中に賢者が座って瞑想をしていました。
王様が家に入って来たのに邪魔をされて、賢者は目を開けました。
賢者は瞑想の邪魔をされたことに腹を立てて、ハリスチャンドラと彼の王国に呪いをかけまいした。
心の立派な王様は、自分の犯した過ちのために、国民を苦しめないようにと、賢者に手を合わせてお願いしました。
「何なりとお望みのものを私におっしゃってください。
しかし、どうか私の国の国民を罰するようなことだけはしないでください」と王様は訴えました。
賢者は怒りに満ちた声で「わしにおまえの王国をそっくり渡せ!」と言いました。
「承知しました」と王様は答えました。
「ただし、すべての準備を整えるまでに、何日か時間をください」と言って王様は賢者のもとを立ち去りました。
それから何日も経って、ハリスチャンドラが大臣たちに国をどのように運営していくかについて
最後の指示をしていたときに、大広間に大きな声が鳴り響きました。
「ハリスチャンドラよ、王国をもらいに来たぞ!」賢者が大股宮廷に入ってきたのです。

王様はへりくだって彼にすべてを渡し、粗末な服を着てお妃様と王子を連れて歩いて門の外に出て行きました。
人々は愛する王様が皆を見捨てて立ち去ったと思って彼を止めようとしました。
しかし王様は人々の願いを聞き入れませんでした。
彼は約束をしてしまったので、その言葉を取り消すことはできなかったのです。
三人が歩き出して間もなく、彼らを呼び止める声が聞こえました。振り返るとそこには例の賢者がいました。
彼はハリスチャンドラにまだお金が足りないと言いました。
王様はもうこの世には何ひとつかれのものは残っていないことを説明しました。
「そんなことはわしの知ったことではない!」と賢者は叫びました。
「その金を作るのに一週間だけ時間をやる」と言っ賢者はその場を立ち去りました。
王様とお妃様と王子はいつまでも歩き続けましたが、どうしても仕事を見つけることができませんでした。
三人ともやつれて疲れ果ててしまいました。賢者から与えられた一週間はもうすぐ終わろうとしていました。

王様は約束を破るまいと必死でした。彼らはとある小さな町にやって来ました。
そこには市が立っていました。王様は市場に入って行って自分を売りに出しました。みんなは彼を笑いました。
いったいどこにそんなに弱々しい男を買うような馬鹿なことをする人がいるでしょう?
とうとう最後に一人の太った商人が彼の妻を自分の家出召使いにしてやろうと言いました。
始めのうちは自分の妻を売るという考えは彼には耐えられませんでしたが、
それ以外に方法がないことに気がついてついにそれに同意しました。
そして商人がお妃様と王子様を連れていってしまいました。

哀れなハリスチャンドラはこの世のものをすべて失ってしまいました。
彼は自分の王国を失い、今度は愛する妻と子までも奪われてしまいました。

しかし彼は約束を破ることはできませんでした。
その夜、彼は定められた通りに賢者に会いに行き、妻を売って手に入れたお金を渡しました。
賢者はさらにそのお金を数えて、それでもまだ足りないと言ったのです。
彼は足りない分のお金を作るために、一ヶ月だけ待ってやろうと言いました。
王様はがっかりして市場に戻りました。彼は必死になって仕事を探しました。どんな仕事でもかまいませんでした。
とうとう最後に大変、色の黒い男が王様を買いました。彼は焼き場の主人でした。
彼はハリスチャンドラを、火葬するために運ばれてきた死体を焼く仕事の責任者にしました。
彼はハリスチャンドラにこの仕事の代金として、人々からお金か、米か、着物をもらわなければいけないと言いました。
この仕事は最も卑しい仕事だと言われていましたが、王様は賢者にお金を払わなければなりませんでしたから、
この仕事をするほかはなかったのです。

一方、お金持ちの商人の家ではひどいことが起こりました。
お母さんが家の掃除をしている間に、外で遊んでいたかわいい王子様が毒ヘビに噛まれました。
そして、間もなく死んでしまったのです。悲しみに暮れた母親は息子の亡きがらを抱えて焼き場に行きました。
ハリスチャンドラの顔は煙で真っ黒くなってしまっていたのでお妃様はそれが王様だとは気がつきませんでした。
彼女は息子を火葬してくださいと頼みました。王様はその代金を払うように言いました。
彼女が自分は何も持っていません、と言ったとき王様は彼女を見てそれが自分のお妃であり、
死んだ子供は自分の子供に他ならないことに気がつきました。
しかし彼女は彼に代金を払わなければなりませんでした。
彼女は何も持っていなかったので、王様は彼女の上半身を覆っていた着物を脱がせようとしました。

そのとき、「やめなさい、ハリスチャンドラよ!もう十分だ!」という声がしました。
彼が見上げると、そこにはあの賢者が優しく笑って立っていました。賢者は今までのことはすべて、
王様が本当に自分の言った言葉を守り、想いと言葉と行動が一致しているかどうかを
試すためのドラマであったことを説明しました。
王子様は深い眠りから覚めたかのように起きあがり、王様とお妃様は王国に戻りました。
人々は皆、大変喜んで彼らはいつまでも幸せに暮らしました

言葉は心に大きな影響を及ぼす

ある役人が学校で一人の教師の仕事振りを視察していました。
役人は単なる話というものを心底軽蔑していました。そこで役人はその教師に尋ねました。
「君はいったいどうやって言葉だけで子供たちの性質を変えることができるにかね?
 子供たちには行いで示しなさい。話をやめて行動しなさい。」
すると教師は言葉は心に大きな影響を与えることができる、と抗議して反論してきました。
議論はしばらく続きました。
とうとう教師は自分の考え方を役人に納得させるために、ある考えを実行することを決意しました。

教師はそのクラスのわんぱくな生徒に言いました。
「よし、この役人の首根っこをつかんで教室からたたき出せ!」
その言葉を聞いた役人は烈火のごとく怒って教師を罵り始めました。教師は言いました。

「お役人、私はほんの二言、三言口にしただけです。誰もあなたを押しも、叩きも、触りもしていません。
 それは単なる音声でした。しかし、それがあなたをどれほど怒らせたか考えてみてください。
 お役人、言葉というものは人格や性質を形作る助けとなるのです。
 言葉にはとてつもない力があるのです。」と。

人生の価値の話

ある有名な講師が20ドル紙幣を手に揚げながらお話を始めました。
「この20ドル紙幣を好きな人はいますか?」とその部屋の200名に尋ねました。
会場の人の手が揚がり始めました。講師はさらにその紙幣をしわくちゃにし始めました。
「まだ、これが欲しい人?」手はまだ揚がったままです。
「では、こうしたらどうでしょう?」と講師は続けました彼は紙幣を床に落として靴で踏みつけました。
それからしわくちゃの薄汚れた紙幣を取り上げ、「まだこれが欲しい人?」と聞きました。
誰も手を下ろしませんでした。

「皆さん、きょう皆さん全員が非常に価値ある学びをしました。
私がこのお金に何をしようが、皆さんはこの紙幣を欲しましたね。
それはこの紙幣が価値を失うことなく、20ドルのままの価値であったからです。
私たちの人生においても幾度となく、私たちは落とされ、くしゃくしゃにされ、踏みつけられて汚されてしまいます。
このことは私たちの思いと行動の結果としてもたらされたものです。
そうしたとき、私たちは価値のない存在だと思いがちです。
しかし何が起こったとしても、また何が起ころうとも、皆さんは価値を失うことは決してないのです。
きれいでも汚れていても、しわくちゃででも折り目正しくても、あなたを愛する人にとっては
お金で計ることのできないほど貴重な存在があなたなのです。
私たちの人生の価値は、私たちが何をしたか、誰を知っているかで左右されることなく、
私たちが誰であるか(私たちの本質)で決まってくるのです。」

意識はどのように物質となったか?


意識と物質、心と肉体の唯一の違いは波動の精粗の度合いです。
波動はエネルギーの振動です。
この振動はどのようにして宇宙知性から生じたのでしょうか。


エーテル中に存在する波動はすべて、宇宙知性に導かれた宇宙エネルギーが顕現したものです。

非顕現の絶対者としての霊は波動も振動も何の動きもなく、存在しています。
そこから創造主として現れた霊が父なる神です。

創造主はまず、静止しているご自身の霊を想念の波動で活性化しました。

このように父なる神が最初につくられたのは宇宙知性の振動すなわち、想念波動だったのです。

そしてその振動をなおも強く、しかも粗くしてゆくと、その波動は外に向かって発達し、宇宙光と宇宙音となって現れました。
(これは人体の中で、霊眼として見え、またオーム、アーメンと呼ばれる宇宙音として聞くことができる)

この意識をもつ宇宙エネルギーの波動は、さらに強く粗大になり神聖で半ば知性があり、本能に導かれる
電子的エネルギーとして現れるようになりました。

そして最後に、最も粗大な質の気体や、液体や固体などの物質を形成するエネルギーになったのです。

小宇宙である人間のからだも同様にまず、想念波動で出来た根源体(コーサル体、観念体)として作られました。

それが次により粗い波動のエネルギーで出来た幽体(アストラル)となり、
                       さらにより粗い物質波動の肉体に作られたのです。
ちょうど人間が電気でつくり出した光と陰と音とを使って立体映像と立体音響の映画を作るように、
宇宙映画の映写技師も想念波動を凝縮した宇宙光と宇宙エネルギーのいろいろな波動を組み合わせて、
人間の意識の中に肉体という映像を映しだしているのです。

いろんな教えや言葉の意味

Q 人は何故、すべての人を平等に愛せよと言うのか?

仏陀の答え  人はこの世に何回も生まれ変わっている間に、どこかで互いに多くの人と関わり、
         親しい縁者の関係を結んでいるから。
         覚えてなくても、かなりの確率で友人だったり、家族だったりしているのです。

Q 前世のことを思い出せないのは何故?

もし、われわれが前世の知人を想い出すことができると、そうした仲間同士が再び集まって、
自分の愛をそれ以外の人々に拡げようとしなくなるからだそうです。

Q 蓮の花が尊ばれるのはなぜ?

蓮の花は物質主義と無知の泥から出て、成長する清らかさの象徴。
蓮は水面にあり、清らかに美しい花を咲かせる。

Q 死とは?

夢の中が一生で、目が覚めた時が肉体の死んだとき。
夢を見ている時、自分が夢を見ていることを自覚していれば、夢の中で不幸な出来事に出会っても
苦しめられることはないでしょう。
しかし夢に浸りきっているときは、その夢の中で誰かに殺されたりすると目が覚めて、それが真実でなかったと気づくまで、
夢の死が恐ろしい事実として感じられます。
死んだ時も同じです。ひとたび肉体から抜け出ると、あなたは死んでいないことに気がつき、悪夢から開放されたと感じます。
ですから死は終わりでは、ありません。

Q 眠っている時、意識がないのは何故?

この世界が、毎晩眠っている間われわれの意識から消されてしまうのは、
この物質宇宙が本物(実在)ではないことを、われわれに教えるためです。

Q 災害は何故起こるの?

災害は人間の想念と行為から生じるものです。
人間の間違った考え方や行為から生じるのです。
人間の間違った考え方や行為に起因する有害な波動が蓄積してこの世界の安定を保っている、
善悪の波動的バランスが崩れると大惨事が起きるのです。

Q イエスがユダヤ人として生まれた理由は?

イエスは東洋人でしかも長い迫害の歴史をもつユダヤ人として生まれることを選びました。
それはかれが人種や肌の色で人を判断することの愚かさを証明したかったからです。

また、神は全く実用的な目的から気候的に太陽光線からの保護を必要とする地方に住む人種に濃い皮膚の色素を与えられた。

聖者たちの言葉

「自分の知らないことでは、議論しない」

「われわれはその人の説いていることと、身につけていることを見分けなければならない」

「自分の問題を処理できないよでは、他人を助けることはできません」

「用心することと、心配することは別。用心は大切ですが、心配してはなりません」

「友情は家庭から始められるべきです」

「いかなることにも執着せぬ者、喜ばしきものに対して興奮せず、悪しきものにも妨げられぬ者は英知を確率した者である」

「感覚の中に幸福を求めてはなりません。喜びは自分の内に求めなさい。そしてその喜びを顔に表しなさい」

「成功の秘訣はいつも意志の力である」

「一切のものに悪意を抱かず、親切で思いやり深くいなさい」

「二つの事を忘れなさい。一つは傷つけられたこと。もう一つは誰かにしたであろう善いことだ」

「たとえどんな嵐の中でも、時は過ぎてゆく」

「好きなことをするのではなく、しなければならないことを好きになりなさい」



ドイツの指導者語る「インドはババのような人を必要としている」
2001年11月1日発行タイムズオブインディア バンガロール版より

バンガロール発・・・火曜日にドイツ首相がバンガロールのIT指導者と忙しい時間を過ごしている間、
首相の同僚は少し違った日程をこなしました。その人は国会議員で、EU委員会の議長であり、
ニーダーザクセン州のキリスト教民主同盟(CDU)の副会長を務めるフリードベルト・フルーガー氏で、彼は時間を割いて
ブッタパルティのシュリサティアサイババを訪問しました。

「私はババ様について妻の親しい友人からたくさんのことを聞いていたので、彼に会いたいと思っていました」
と、彼はブッタパルティ訪問後タイムズオブインディアの記者に語りました。
フルーガー氏はプッタパルティへの訪問は驚くべき発見であったと述べました。

「私は当地における慈善活動としての特別病院について、また大学の事柄についても知りませんでした。
 それは非常に印象的でした。」

フルーガー氏は1時間以上もババ様と共に過ごし、彼はこのことを末永く忘れることはないだろうと言っていました。
「最初は少し違和感を感じましたが、彼が話し始め、彼が話せば話すほど私は感銘を受けました」と述べました。

このドイツのリーダーはババ様の社会活動とライフスタイルにもっとも感銘を受けました。
「近隣の村々の人々に提供した教育及び、飲み水は素晴らしい」と。
「彼は質素な生活をし、、ただ説教するのではなく、むしろその模範を示しています」と付け加えました。
フルーガー氏は自分のためだけではなく困窮した人に奉仕することが必要であるといったババ様の考えに同感しました。

「彼は私を導くのは根気と忍耐と純粋さであると言いました。彼はものすごい内なる力を持っており、それを私は見ることが出来ました」
と語りました。それではフルーガー氏が持ち帰る印象は何でしょうか。

「彼は貧困と文盲の暗闇を駆逐します。インドは彼のような人が必要だと心から思いました。
 そして”いかなる特定の宗教にも関わらない彼の教えを私は高く評価します。

 ババ様が言われているように、それはヒンドゥー教徒は、よりよいヒンドゥー教徒に、
 キリスト教徒は、よりよいキリスト教徒になることを意味しています。」と述べました。



マハトマ・ガンジーが残した日記の1ページの中の言葉と食肉文化について

ガンジーの日記より
「なんとひどい生命の浪費であろう。生命の真価に対してなんと無慈悲なんだろう。
どれほど多くの生き物が晩餐の食卓を飾るというだけのために、犠牲にされ、
そのうちのどれだけ多くが手も付けられずにテーブルの上に残されるであろう。」

   


ガンジーの服装

マハトマ・ガンジーは人の価値は服装で決められるものではないことを身をもって証明した。
彼は自分が貧しいインドの大衆の仲間であることを示すために、いつも腰布しか身につけていません。
ある時彼はイギリス総督主催のパーティーに招かれて、いつもの身なりで出掛けました。
彼が中に入ろうとすると、入り口にいた案内係がそれを阻止しました。
ガンジーは家に帰ると使いの者に総督あての小包を持たせてやりました。
その中にはスーツが入っていました。
総督はすぐにガンジーを訪れてその意味を尋ねました。ガンジーは答えました。

「私はあなたのパーティーに招かれましたが、この身なりのために中に入るのを断られてしまいました。
ですから、私の代わりにこのスーツに行ってもらったのです。」

総督はもちろん謝罪して、彼の出席を改めて懇請しました。
ガンジーはロンドンでも腰布だけで国王や女王陛下の前に出ました。
彼は服装による人間の格付けを超越していたのです。
しかし別にガンジーのような服装を勧めているわけではありません。
ガンジーには果たすべき使命があってその身なりも彼の役割の一部なのです。
誰でももしガンジーくらい偉大になれば、自分の信じる事を押し通すことができるでしょう。
要するに身なりのことばかり夢中になってはいけないと同時に、それをなおざりにしてもいけない、ということです。


   
小話の英知

他人から受ける尊敬や軽蔑は無意味

他人から受ける尊敬や軽蔑には何の意味もありません。それは単なる言葉でしかありません。
このことを説明する小さな話があります。ある村に二人の男が住んでおりました。
一人はどこに行くにも馬を使って旅しました。もう一人の男はどこに行くにもいつも枕を手に持って歩いて行きました。
ある日、二人は同じ時間に同じ村に向かって旅に出なければなりませんでした。
その際、枕を持った男が道案内をしました。馬に乗った男は、その男のの後について行きました。
途中に小さな村があって二人はそこを通って行きました。村人たちは枕を抱えた男を見て、彼は書類の束を運んでいるのだと思いました。
彼らはその男が書類を抱えている小使いで後から来る主人を先導しているのだと思いました。
昔は車がなかったために、役人たちは皆、馬で旅をしていたので村人たちはそのように考えたのです。

二人が目的地に着くと、枕を抱えた男はまっすぐに宿屋に入り、気持ち良さそうに悠然と枕の上に座って体を休めました。
もう一人の男は馬をつなぐ場所を探して歩きました。
その村の人々は二人を見て、枕を持った男が役人で、馬をつなごうとしていた男が小使いだと考えました。

世の中では尊敬と軽蔑はこのようにして生ずるのです。
ある村で役人と見られた男が、別な村では小使いと見られました。
前の村では小使いと見られた男が、後の村では役人だと見られました。
これは単に見ている側の想像であって、人々の心から流れ出すものに過ぎません。
この過程においては尊敬も軽蔑も両人の本質的価値の結果として二人に向けられたものではありません。

妻の教え

あるところにひとりの金持ちがいました。彼は米をひく工場を経営していました。
彼はある時、腹を空かした人に食物を与えることは神の最も喜したもう奉仕であるという聖者の説教を聞きました。
そこで彼は村の貧しい人々に食物を施す決心をしました。

しかし彼はそのために上等の米を使う気持ちはさらさらなかったのです。
どんな米でも、彼らにとっては十分だと考えました。
そこで彼は腐りかけの米を倉庫から出してきました。米についた虫を取り除くことさえしなかったのです。
虫のついた腐りかけの米を料理して貧しい人々に食べさせますと、当然のことながら食べた人は病気になってしまいました。

彼の妻は、数百人に悪い食べ物を与えるよりも、十人でよいから上等の食べ物を与えることのほうが
ずっと功徳になると、彼に教えました。

しかし男は妻の言葉に耳をかそうともしなかったのです。
妻はよいことを思いつきました。
毎日彼女は夫のお皿に、腐って虫のついた食べ物をのせておいたのです。
怒った夫が妻をとがめますと、彼女はこう答えました。

「人はみな、自分が他人に与えた害を、自分自身で苦しまねばならないとお防さまは言われました。
 ですからあなたは、この次生まれてくるときには、虫のいっぱいついた腐った食べ物を食べなくてはならないのです。
 私はあなたが今からそれに慣れるように、腐った食べ物を食べさせているのです」


それを聞いた夫は自分が悪かったことに気づき、自分の過ちを詫び、貧しい人に奉仕するよりよいやり方を学んだのです。

仕事に上下はなし

アメリカが独立するために戦争をしていた頃、ジョージ・ワシントンはアメリカ軍総司令官を勤めていました。
ある日のことです。ジョージは陸軍キャンプでみんながきちんとやっているかどうかを点検するために、
馬に乗って見回りをしていました。キャンプのすみの方では、新しい建物を建てていました。
そこでは陸軍大尉が六人の兵士たちに長くて重い鉄の梁を建物のいちばんてっぺんまで持ち上げるよう命令していました。
六人の兵士たちはその命令に従おうと、一生懸命頑張りました。けれどもその梁は兵士たちには重すぎました。
一方大尉は兵士たちにまるで思いやりを持っていないようでした。大尉は兵士たちを助けに行こうとはせずに、
離れたところから「もっと頑張れ!持ち上げろ、持ち上げろ!」と大きな声で怒鳴るだけでした。

ジョージはこの様子を黙って見ていることができませんでした。ジョージは大尉に近づいて尋ねました。
「あの梁は重いのです。あなたも少しは力を貸してあげてはいかがですか?」大尉は乱暴に答えました。
「何だと!あれは兵士の仕事だぞ。君は私が大尉だということがわからんのか?」
「なるほど。」ジョージは言いました。「失礼しました。知らなかったので。」
ジョージは馬から下りると兵士たちのところに行って梁が建物のてっぺんに届くまで兵士たちを手伝いました。
それから大尉の方を振り向いて言いました。

「大尉殿、次にまたこういう仕事があって兵士の数が足りないときには私を呼んでください。
 私はアメリカ軍総司令官です。喜んでお手伝いに参ります。」
この言葉を聞いて、大尉はショックを受けました。そして大尉が返事をする前に、
ジョージは馬にまたがると自分のテントに向かって走って行ってしまいました。

腐ったご飯

あるところに乞食がいました。
彼は金持ちの戸口に立って、食べるものを恵んでほしいと哀願しました。
安楽椅子に寝そべっていた主人は荒々しい言葉で乞食を追い払いました。
しかし、乞食は立ち去ろうとせず、ご飯をねだり続けました。
腐ったものでもよいから、くださいと言ったのです。
それを聞いた嫁はちょうど奥で食事をしていましたが、こう答えました。

「私たちは今、腐ったご飯を食べています。新しいご飯は今、炊いているところです」
乞食にはその意味がよく分かりました。

つまり嫁の言った言葉はしゅうとの残酷な態度は彼が将来みじめな思いをするための種子となるものであること、
そして現在の彼の安楽な暮らしは前世で彼の成した善行の結果であるということを意味したのです。


私たちは腐ったご飯を食べていますということは、前世での悪行の報いに会っているという意味なのです。
私たちは未来の食事を今、料理しているところなのです。


全てはあなたのためである


あるところに一人の大臣がいました。
大臣はいつも、何が起ころうともそれはその人にとって良いことなのだ、と主張していました。
ある日、王はさとうきびの皮を剥こうとして、指を切ってしまいました。

大臣は王の指から血が流れているのを見て、指のケガは王にとって良いことだ、と言いました。
王はたいそう怒って、すぐに大臣を牢屋に入れてしまいました。そのような目に遭ってさえ、
大臣は牢屋に入れられたことは自分にとって良いことだと言いました。

それから二、三日して王は一人で森に狩に行き、木の下で休みました。
森に住む族長の召使いが王を捕らえて、部族の女神に捧げる生贄にしようとしました。
王があわや、首を切られようとしたとき、王の指がケガをしていることが分かりました。
ケガをしている人間を女神の生贄にすることはできないため、王は開放されました。

王は大臣の言葉を想い出し、、指をケガしたために命が助かったことが分かりました。
王はまっすぐに牢屋に行き、牢屋に入れられたことですら大臣にとって良いことだと言ったのは何故かと、尋ねました。

大臣は、もし自分が牢に入れられなかったなら王のお供をして、森に行っていたであろうし、
もしそうならば森の種族は王の代わりに自分を生贄に選んだであろうから、と答えました。


全ての出来事はその人自身にとって良いことであるとして、
歓迎することを人は学ぶべきであるということがこの物語の教訓です。


ロバの死

ある日、王妃と仲の良い侍女が、悲しみのあまり、泣きながら、宮殿に来ました。
それを見た王妃も泣き出しました。
王妃が泣いているのを見た宮殿の侍女たちは、みな泣き出しました。
ついには大臣たちもみな泣き出しました。
王は妃が慰めようもなく悲しんでいるのを見て同情し、自分も泣き出しました。
そしてその光景を見ると、町じゅうから大きな泣き声があがり、止まらなくなりました。

ついに思慮深い男が、ひとりひとりに泣く理由を尋ねはじめました。
とうとう妃も泣いている訳を尋ねられて、侍女が泣きながら宮殿へ来たのを見て自分も泣き出したのだと言いました。

次にその侍女に理由を尋ねますと彼女は自分のかわいがっていたロバが突然死んだので、とても悲しいと言いました。

この話が伝わると、今まで泣いていた市民たちはいっせいに泣きやみ、笑い出しました。

理性を働かせ、識別しなさい。結論を急いだり、単なるうわさ話で心を動かされてはいけません。

あなたは世界を緑色に塗ることはできない

ある村に大変裕福な男が住んでいました。男はいつも大変感情的で、ひどい頭痛に悩まされていました。
ある日男はこのひどい頭痛を治してくれた者には多額の報酬を与えると人々に宣言しました。
医者を始め、たくさんの人々が頭痛を治す方法をアドバイスしましたが男の症状はよくなりませんでした。
ある日、ひとりの聖者がこの金持ちの男を訪ねました。病気のことを聞くと聖者は男に言いました。

「あなたの頭痛を治すのは簡単です。いつでもどこでも緑色が見えるようにするだけでよいのです。」

これなら簡単にできると金持ちの男は大喜びしました。
次の日、金持ちの男は何百人もの塗装職人を雇い、村全体を緑色に塗らせました。
男は金持ちでしたので、村人全員に緑色の服を買い与えました。男は聖者が教えた通り、
どこに行っても緑色を見られるようになり、頭痛もなくなってきました。
そして以前より笑顔が見られるようになり、ずっと幸せになりました。


数カ月して例の聖者が金持ちの男に会いに戻ってきました。しかしひとりの塗装職人が立ちはだかって言いました。
「いけない、いけない。その色の服を着たままこの村に入ってはいけません。あなたを緑色に塗らなくては」
聖者は金持ちの男の家へ逃げ込み、怒って言いました。
「なぜそんなに時間とお金を使って、あなたの周りのすべてを変えようとするのです?
 私はすべてのものを緑色に塗りなさいとは一言も言わなかったはずだ。
 ただあなたが緑色の眼鏡をかけるだけでよかたのです。
 そうすれば、あなたの周りがすべて緑色に見えたでしょう。」

私達は環境を変えるために、周囲のすべての人や物を変える必要はありません。
まず、自分自身を変えるだけでよいのです。そうすれば私達の周りもすべて変わることに気づくでしょう。


インドの初代首相バブー・ラジェンドラ・プラサードの本当の出来事

ラーサナという名前のとても忠実で、永年彼の満足のいくように仕えている召使いがいました。

ある日、ラーサナは部屋の掃除を命じられました。
マハトマ・ガンジーから贈られたペンをラジェンドラは本の間に挟んでいたので
ラーサナがテーブルを拭いている時、その本が床に落ちペン先が折れてしまいました。
ラーサナはうろたえましたが主人に正直に話し、失敗を許してくれるようお願いしました。

しかし折れたペンはガンジーからの非情に価値ある贈り物だったのでこれを聞いたラジェンドラは
激しく怒って召使いを怒鳴りつけ、
「出ていけ!もう二度と顔を見せるな!」と命じました。その時召使いは
「ご主人さまの下でなくては生きていけません。」と嘆願して許しを求めました。

しかしラジェンドラはその言葉を聞く気もなく
「二度と私の前に現れるな!」と命令してその場を去りました。


召使いを追い出したことが脳裏から離れず、ラジェンドラは一晩中眠れませんでした。
翌朝起床の時、いつもならラーサナが出してくれるモーニングコーヒーが無くて寂しくなりました。

自らの振る舞いを反省し、些細な過ちであれほど忠実な召使いを追い出したことを悔やみました。
ペンをきちんと安全な場所に置かず、うっかり本の間に挟んでいたのは自分の過ちでした。

ラーサナに手紙を書いて戻ってもらい、許しを求めてこう言いました。
「ラーサナ、君は良い人だ。ペンを本の間に挟んでいたのは私の過ちだった。
                  だから、私の分別のない行動を是非許してくれ。」
ラジェンドラはラーサナに一生仕えてくれるように頼みました。

怒りは人の気性から生まれ、この気性の激発に屈するものは必ず苦しむことになる。
起きたことのすべては善いことも悪いことも自分が原因を作っている。誰のせいでもない。
起こったことをひとつひとつ、たどってみるとよーく分かるはずです。
そうすると怒るということが殆ど、なくなってしまう、・・・というお話でした!



土のお皿

ある金持ちの商人に、一人息子がいました。
その商人は、息子がたった五歳のときに妻を亡くしたので、息子にとって父と母の両方の存在になり、
愛情を込めて世話をし育てました。商人は息子に良い教育を受けさせ、美しい女性と結婚させました。

しかしその義理の娘は、義理の父である商人の存在をあまり良くは思っていませんでした。
彼女は義理の父を不快で、自由を妨げるものと見なしていました。
彼女は義理の父の財産をなんとかして夫の管理下におかせようと、夫を説得しました。

夫は言いました。
「そんなことは構わないでいいよ。私は一人息子だ。だから財産の唯一の相続人だよ」

しかし、彼女は黙っていませんでした。明けても暮れても、彼女はそのことをせがみました。

ある日、夫は父に言いました。
「お父さん、お父さんはもうお年を召していらっしゃいます。
財産の管理をするのは大変でしょう。私に管理を任せてはいかがですか。?」
父は習わしをよく知っていました。父はそれに同意し、財産に関するすべての書類と、金庫の鍵も渡しました。

数カ月後、妻は思いました。
「お義父さんはいつも咳とくしゃみをしているわ。お義父さんはベランダの正面の部屋に住むべきではないわ」

ある日、彼女は夫に言いました。
「ねえあなた、私にはもうすぐ子供が産まれます。だから正面の部屋に住みたいわ。
 裏庭に、お義父さんのための茅葺き屋根の小屋を建てたらどうかしら」
夫は妻をとても愛しており、妻は大変賢明であると思っていたので、妻の願いを聞き入れました。

妻は義理の父に、いつも午後の大変遅い時間に、粗末な土の食器で昼食を出していました。

ある吉日、その夫婦に息子が生まれました。
その子は賢く、活発で誠実な子供に育ちました。その子はいつもおじいさんと一緒にいました。
おじいさんのお話や冗談を聞くことが、その子にとって楽しみであり、喜びでした。

その子は愛するおじいさんに対する母の態度に少し腹を立てました。
しかしその子は母の頑固な性格と、父が母を頼りにしていることを知っていました。

ある日、その夫婦は昼食後、一時間以上も探し物をしていました。
その子はおじいさんの膝から立ち上がり、走ってきました。そして両親が探し物をしているのを見つけ、何気なく尋ねました。
「お父さん、何を探しているの?」

「ああ、おまえのおじいさんの土のお皿だよ。もう遅くなった。おじいさんに昼食を出さなくては。
 おまえはそのお皿を見なかったか?」
その五歳の子は、ちゃめっけのある笑顔を浮かべて答えました。

「うん、ぼくが持っているよ。かばんの中に大切にしまってあるよ!」
父が言いました。「なに!あのお皿をかばんにしまったのか!すぐに持ってきなさい!」
その子は答えました。

「嫌です、お父さん!ぼくはそれを将来のためにとっておきたいんだ。ぼくは、おとうさんがおじいさんのように
年を取ったときに、昼食をあのお皿で出すんだ。あのお皿はそれまでもたないだろうから」

若い両親は言葉もなく立ち尽くしました。両親は子供の気持ちを理解しました。
 両親は今までの自分たちの振る舞いを恥じました。
その日以来、両親は尊敬と愛情をもっておじいさんのお世話をするようになりました。

もし、あなたが両親を尊敬するなら、あなたの子供もあなたを尊敬するでしょう。

ソロモンの知恵を物語る有名なエピソードで二人の母親の話がある。

 
 ある日、一人の子供をめぐって二人の遊女がソロモン王の前で言い争ったと言う。
この二人は同じ家に住み、どちらも最近子供を産んだのであるが、どちらかの赤ん坊が死んでしまった。
一方の女は自分が寝ている間にもう一人の女が自分の赤ん坊を盗んだと主張し、
一方の女は生きている赤ん坊が最初から自分の子だと言って、譲らないのであった。
それを聞いていた王は「剣を持ってくるように」と命じた後、こう続けたと言う。

「子供を裂いて真っ二つにして二人に分けるように」
片方の女は「この際、二人とも子供がなくなればいいから、真っ二つにしてほしい」と言い、
もう片方の女は「相手に取られてもいいから、赤ん坊を殺さないでほしい」と泣いて嘆願した。
これで真実の母親がわかったソロモンは後者の女に赤ん坊を渡したのだった。
こうした人情味溢れる裁定ができるということにイスラエルの人々は
ソロモンがダビデの系譜であることを認めたという。